メディアボロス|秋影書房

メディアボロス

〈メディアボロス(mediabolos)〉とは、メディア(media、媒体)とディアボロス(diabolos、悪魔)を合わせた造語。〈メディアボロス〉に欺かれないために――

現実を操る仮想

2024年、日向灘を震源とするマグニチュード7.1の地震が起きた。それを受けて気象庁は南海トラフ地震臨時情報・巨大地震注意を発表。その後、呼びかけ終了と相なったわけだが、情報に反応した世間は動揺した。

同じように、非常に強い台風10号が南南西から日本列島に接近、列島の広い範囲に注意が呼びかけられた。しかし、この台風は急速に勢力を失い、地域によっては予測と大きく異なる結果に終わった。先の感染症もインフォデミック★1の効果は甚大だった。

注意喚起として最悪の事態を想定することは間違いではない。拙論はアナウンス効果★2に言及するものではなく、「情報と人間」、「仮想と現実」の間の緩衝機能、あるいは平衡感覚が完全に失われていると見えることに問題提起する。

巨大地震注意にかんして言えば、日本列島上に住んでいる以上、地震と無縁でいられないのは常識だ。常在戦場の意識で怠りなく備えていて然るべきだろう。お上の号令をもって反応しているようでは、そも列島人としての意識が足りないと言わざるをえない。

台風10号にかんして言えば、「おかに上がってもこの遅さでは、ここ(私が住んでいる場所)に来るころにはヘタっているだろう」九州とは違った備えでよいと私は家族に言い、実際にそれでよかった。

眼の中にレンズを埋め込んで視力を矯正するICL(Implantable Contact Lens)という手術がある。世人は精神の中にメディアを埋め込む手術でもしたのだろうか。

おのれの経験や理解、推理よりも、「仮想」の視聴覚情報を人は信頼する。「仮想」が「現実」を操る。

★1 インフォデミック(infodemic)――インフォメーション(information、情報)とパンデミック(pandemic、感染症の世界的流行)を合わせた造語。

★2 アナウンス効果――報道の影響を受けて人々の心理や行動に変化が生ずること。

メディアボロス

世に広くブロードキャストされる「仮想」の由って来る源は官僚的構造にある。すなわち「カネ、権力の類」が企図した青写真に各様の処理をほどこしたものが「仮想」となる。「仮想」が往々にして政治的、権力的な表現であり、価値の操作マニピュレートであると知れば、「仮想」もまた「現実」の内だといえよう。

但し、この「仮想」を「現実」の内に具体的に手引しているのは「仮想リテラシー」の低い大量の人間「マス」の心理だ。つまり「仮想」を「現実」の上位にまで押し上げたのはマスの軽忽である。マスの「仮想」への狂信が、「現実」をこせこせした、落着きのないものにしている。

「仮想への狂信」は技術文明における最大級のカルトである。マスが奉ずる仮想を流布する媒体メディア、これを名づけてメディアボロス(mediabolos)とよぼう。メディア(media、媒体)とディアボロス(diabolos、悪魔)を合わせるからには、善いものではない。

思うに、テレビやそれに類似したネットのコンテンツに傾倒する人間は、おしなべてこせこせした、落着きのないものが多い。顔付きは一見、愛想がいいが、カップ麺の湯戻しほどの時間、言葉を交わせば明察する、単に軽薄子なのだと。

どうやらこの世界には、ほとんどストレスを感じることなく、つまり苦しみから免れて生きている人たちが10パーセントほどいるようです。まったくストレスのない生活がどのようなものなのか僕にはほとんど理解できませんが、彼らを調べてみると、たしかに健康で気分もいいが、認知機能がそうではない人に比べて、8年も早く老化していることがわかりました。
また彼らは、他人に感情的なサポートを与えることも、他人からそのようなサポートを受けることも少なく、前向きな経験も少なかったようです。彼らが唯一頻繁に報告した活動は、テレビを見ることでした。これが、ストレスフリーな生活の一面です。
──
稲垣諭『絶滅へようこそ』晶文社、2022年。

考えの及ぶ範囲のことを「眼界」というが、私は眼差のたよりない人間との関わりは避ける。そうした人間はややもすればゴシップを切り出すからだ。ここでいうゴシップとは有名人の私生活にかんする話題のみならず、うわさ話、無駄話、仮想話のことだ。そういった話柄に嬉々として戯れる人間との関わりは、たとえ一時であれ、添加物だらけのカップ麺より私に有害無益である。

メディアボロスの奴婢となり果てた公称いい人人生100年(時代)に関わったところで百年河清を俟つ、益するところはない。

心ぬるくなだらかなる人は、長きためしなむ多かりける
(心が穏やかな人は、長生きする例が多い)
──
源氏物語

ちなみに「心ぬるし」には「穏やか」の他に「鈍い」「弱い」という意味もある。

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サイボーグ(cyborg)――生体機能の重要な部分を電子機器などに代行させたもの

センスへの信頼

旅先の宿を探しているときなど、武家屋敷風のさっぱりした部屋の壁に大きなテレビが掛かっているのを見ると、なんとも無粋だと思う。が、世間の趨勢はテレビがなければ宿の評価を減点するのだろうから、無粋なのは世間である。

テレビからスマホ、スマホからやがて脳の視覚野へ直接メディアを埋め込んで、仮想に惚けるのだろう、マスはこれからも。

「仮想」の巨大なイナーシャを止めることはもはやできないだろう。情報被制御物サイボーグと化したマスの呆けた幸福と頽廃という不可逆的な大背景、メディアボロスの支配する世界。「仮想」と「私の現実」の間に緩衝機能、平衡機能をもつフィルターを仮構する必要がある。カットすべきはブルーライト★3より「仮想の(低劣な)他律性」である。

そのフィルターを「センスへの絶対的信頼」としよう。「センス(sense)」の原義は「苦労して進む」であり、その意味は「感覚」の他に「思慮分別」「意識」まで含む。現代の悪魔メディアボロスの誘惑は、無意識的な己がセンスへの不信に忍び寄る。苦労してでも己の感覚にたしかな自負と信頼を寄せなければならない。

その過程で、己の直覚を安易に演繹しないほうがいい。安易な演繹の前提はすでにメディアボロスに歪められている(公理すらすでに頽廃を含んでいる)可能性が大いにある。正論の皮をかぶった俗論は、すでにデファクトスタンダードになっている。世に照らすのは今や悪手だ。

仮想に曝露し、仮想に灼かれる時間をセンスの実践に。ぽかんと口をあけ、仮想に耽る自身のさまを見ることは難しいが、それはさながらセンスの仮葬、センスの消失である。

★3 ブルーライト――紫外線に次ぐ波長の短い光。網膜や角膜上皮細胞に影響をあたえるといわれている。

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