パソコンのススメ

スマホよりパソコン――
パソコンのススメ

2007年にアップルから発売された「初代iPhone」。これをスマホ時代のはじまりと仮定すると、スマホ・スタンダードは2021年現在まで14年間続いている。その間、スマホはもっぱらスペック競争とSNS、ゲームに膠着。このマンネリに嫌気がさす者がもっといてもいいのではないか。そこで「パソコンのススメ」。コンテンツをミルからツクルへ。興味の重心をシフトすることをススメたい。

情報と空間の切り離せない関係

スマホの画面と顔面が見えない糸でつながったかのような人は、引綱リードのついた犬とつながった人よりも多い。ただ、スマホとつながるその関係は、犬とのそれよりはるかに貧相に感じられる。なぜというに、私はスマホの情報装置としての拙劣さに今もって興味がわかず、もっぱらパソコンに定着する者だからだ。

その理由の一つは、情報媒体に深く関わる経験として「スマホよりもリッチな経験」が基礎にあること。私はデザイナーとして駆出しのころ、組版――書籍等のレイアウト――業務に徹していた。レイアウトする紙面はA3でも420×297ミリもある。小さなスマホ全盛の今からすれば、情報を映しだす「面」としてはとてもリッチなものだ。

人と道具の関係性でもっとも重要な要素のひとつは空間性である。今や冥王星まで飛んだNASAの探査機ニュー・ホライズンズよりはるかに高性能のCPUを積むスマホ。しかし、その進化が片手間仕様のサイズ感をでることはないだろう。

『+81』

書籍の空間はスマホよりもはるかにリッチだ。

+81』VOL.52 ©2011 D.D.WAVE CO.,LTD.

小さすぎるスマホ

デジタルネイティブといわれる世代は、私の世代よりも情報表現にかんする観念が収斂されている――デザイナーとしてさまざまな現場を経験するなかで、若手のデザイナーに教える機会もあったが、それらで得た通底する気づきだ。経験の浅い若手の(レイアウト)デザインは、媒体によらず「スマホっぽい」のである。

情報の一覧性、可読性、情緒性など、スマホよりすぐれた諸側面をもつ媒体は種々ある。幾何学的美を感じさせる書籍のレイアウトを若い世代に見せると、「美しい」と感じ入っていた。本質的な要素における勝手の良さを直感的に感じとったにちがいない。

スマホのスクリーンの表現性は、解像度うんぬん以前に大したことはない。縦一段で流れる情報は一覧性がわるく、まどろっこしい。人間の視野は一般的に横に180~200度、縦に120~130度といわれている。横に広がりたいものを縦に窮屈に圧迫するのだから、まどろっこしいのも当然だ。かといってスマホの横使いは寸足らずで、これまたまどろっこしい。

スマホのスクリーンは偏屈だ。ミルにしてはいまいち。ツクルとなれば、さらなる操作にまつわる情報を扱うのだからもってのほか。即座的な双方向性、しかし受動性が強いとくれば、ハードとしての性質は、類するところテレビであってパソコンではない。

こう書いてきて我ながら腑に落ちた。私はテレビを見ない・持たない。私の場合、テレビにたいする興味の度合と、スマホにたいするそれはおなじ淵源のようだ。

スマホの弱点

先端技術の密度としてはパソコンに劣らないスマホ。しかし、創造性・操作性・画面あたり情報量ではパソコンよりはるかに劣る。画面解像度や通信速度への傾倒は、すなわち受信媒体としての尖鋭化ともいえる。

パソコンは「ツクル側」にも立てる。
その一事こそ最大の価値

スマホは片手間仕様である必然性から、ユーザーに高度・広域なツクル行為は提供できない。それは空間的必然性だ。どうしてツクル行為にこだわるのか。それはこれからミルだけの受け身では、情報にコミットしているとはいえない時代になっていくと予測するからだ。

近年、情報・言論空間が、なんだかきなくさいことになってきた。これまでのコンタミネーション(混淆、汚濁)とは毛色がちがう、統制・圧制めいたものが着実に浸潤してきている。そうなると、情報を受ける行為及び結果が一様に平板化する。情報の受け手側には、もはや個性の居場所はない。

出来合の情報はこれまで以上に「マス(群衆)メディア(媒体)」として尖鋭化することだろう。「マス」とどこまでも知的運命をともにするという気概の御仁はツクル行為と無縁でもかまわない。しかし、人間が自己意識を捨てきってしまうことを「虚しい」と感じることは本能だろう。個性がむずむずして頭をもたげてくるにちがいない。

SNSも、本来はそうした自己意識の発露としてここまで広がった。しかしどうだろう。140字の制限と検閲のもと、吐き出される言葉に自己意識の解放は感じられただろうか。ちなみに私はツイッターを一度のツイートで退会した。ツクルという行為の快楽は、ある程度の多面的かつ重層的な知の操作によって得られるものだ。

ツクル行為は楽しい。スマホの小さな画面を飛び出しツクルを始めてみてはいかがだろう。その過程でかならずや問いの種に出合う。その問いに答えるかたちで経験の花がひらく。花の香りに誘われて縁がやってくる。ツクル行為は日々を豊かにする。そのためのツールはスマホではなく、広い作業場をもつ「パソコン」だ。

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