理想のレトロゲーム機構想

理想のレトロゲーム機構想

ゲームとの出合いはたしか1984年だから、ゲームというものを嗜んで37年にもなる。そんなゲームにたいして、私のゲームへの足取り、歩み寄りは重くなる一方だ。酸いも甘いも噛み分けた四十路半ばの今、家康公の遺訓をゲームに思う。及ばざるは過ぎたるより優れり――制約のなかのやりくりこそが技術のきらめきであり、そこに生きいきしたものが宿る。
今だからこそ、理想のレトロゲーム機を構想しよう。

技術のオートマティズム(自動症)と化したゲーム

32ビット以降のゲームには食指が微動だにしない。その理由に天才の言葉を拝借しよう。

絵画とは、なんと空しいものであることか! 人は、その絵画のもとになった現実を賛嘆することがないのに、現実に似ていると言って絵画を賛嘆するのである。
――
ブレーズ・パスカル/鹿島茂訳、『パスカル パンセ抄』飛鳥新社、2012年

ゲームの高度化に感じるむなしさの本質をこれほど簡潔に代弁してくれるとは、さすがパスカル。これだけでも十分なのだが、さらにもう一言、この天才の強い言葉を借りよう。

今日は時間がないので、仕方なく長い手紙をしたためる

矛盾などない、真実をぴしゃりといっている。つまり、だらだらと長大な文を書くことは容易だが、彫琢された短い文を書くことは難しいことをいっている。

大容量、無制限なハードの性能に寄りかかった近年のゲーム。空しい写実主義のだらだらした長編を、ましてやアイデアの枯渇をエロティシズムで埋め合わせるような児戯を、私はゲーム(楽しみ)とは感じられないのである。

イメージ

ゲーム界のスター、マリオも制約から生まれた。

マリオのデビュー作『ドンキーコング』では、16×16のすごく小さなドットでキャラクターを描かなくてはいけなかった。だから、このドットだけで、人物が本当に描けるかということが大きなテーマでした。そこで、効率的に考えることにしたんです。(中略)ヒゲを描くとクチを描かなくていいので、便利ですし。鼻が2ドット、ヒゲが1ドット。これなら8ドット以内に顔が収まる。残りのドットを体を描くのに使おう、と。
――
宮本茂のインタビュー、『ファミリーコンピュータ 1983-1994』東京都歴史文化財団東京都写真美術館(企画・監修)太田出版、2003年

レトロゲームの彫琢された世界

レトロゲームの作品はなべて、制約のなかのやりくりから生まれる技術のきらめきがあった。ファミコン版の『グラディウス』にオプションが2つしか付かなかったことに、少年だった私は愕然とした。しかし、その巧みに調整されたゲームバランスから、結果的にはファミコン版の『グラディウス』は私をじゅうぶんに楽しませてくれた。

とことん無駄を削り軽量化とたたかうレトロゲームは、さながら「F1マシン」のような美しい産物になることがまれにある。いわゆる「名作」だ。およそ40年を経た今でもそれらは輝きを失わない。精髄というものは、なにも足せないし、なにも引けない、それゆえ永続性が宿るのだ。

「理想のレトロゲーム機構想」は、名作のきらめきが満点の星空のように凝縮されるハード設計を目指す。時を経て、いぶし銀の大人になった諸兄に似合う道具に仕立てようではないか。

モビルスーツの性能の違いが、戦力の決定的差でないということを教えてやる
少佐★1、あなたの言ったとおりだったよ。

★1 少佐――シャア・アズナブルのこと。『機動戦士ガンダム』に登場する人物。

飛騨の天然木ブナとヘアライン・チタンを使った本体デザイン

当時の少年たちも今はいい大人だ。ちゃちな品はもてない。とくに外観には贅をつくそう。「飛騨の天然木ブナ」と「ヘアライン・チタン」で重厚かつしぶくきめる。16連射してもぐらつかない安定感のために適度な重量は必要だ。

1993年、バンダイから発売された携帯ゲーム機『ワンダースワン』の「縦・横両使い」という設計思想は素晴らしいものだった。この思想は取り入れよう。とくにアーケードゲームにおいては縦画面・横画面、いずれかに合わせてゲームバランスがデザインされている。この縦横概念を画一化すると、ゲームバランス全体に影響するのだ。

ハードのスペックは16ビットの黄金期を参考にする。CPUはモトローラの「MC68000(16MHz)」をメインに、「Z80(8MHz)」をサブに選択。

あらゆるジャンルのレトロゲームをはしらせるのに十分なメモリ。画面解像度はドットが際立つ320×240ドット。同時発色数は過剰な写実主義にはしらぬよう最大4096色中256色(スプライト、BG各16色×8パレット)。美しさにたいして人の仕事が価値を発揮できるマージンをのこす。

内蔵音源もこだわりどころだ。ゲームミュージックはゲームというカルチャーを背景に育まれた立派な音楽ジャンルのひとつである(チップチューンという言葉も確立されている)。だからこそ安易なサンプリングに傾倒した青天井な作りは無粋といわざるをえない。ゲームミュージックらしい音というものを大切にする。

FM音源「YM2151」を参考に、レトロゲームの至高の音を追求したい。そこでカスタム(特別仕様)のFM音源にする。 FM音源カスタム:6オペレータ8chと、ソフトウェアPCM(8ビット):2ch。これでおそらく一生楽しめるはずだ。私なら楽しめる。

キャラクターとして振る舞う絵「スプライト」は1画面最大400個(32×32ドット)あればレトロゲームでは十分だ――ちなみにポリゴンは「絵」として「弱い」と感じる――。

画面は3.6~4インチをイメージ。スピーカーはモノラル(イヤホン使用時ステレオ)。縦・横使用に対応した十字と4ボタン。 START、SELECT、RAPID(連射)。任意のボタンにRAPID(連射)を設定可能。 本体側面にPOWER(電源)、その他各種端子。

あまり細かいことを追求すると矛盾がでてくるので、スペックは大雑把にこのへんにしよう。本論の企図するところはマシン設計ではなく、わくわくする理想を思い描くことにある。

スペック
CPU MC68000カスタム(16MHz)
Z80カスタム(8MHz)
メモリ RAM: 64KB(MC68000)
RAM: 32KB(Z80)
VRAM: 192KB
解像度 320×240ドット/アスペクト比 4:3
同時発色数 4096色中256色(スプライト, BG各16色×8パレット)
内蔵音源 FM音源カスタム:6オペレータ8ch
ソフトウェアPCM(8ビット):2ch
スプライト 最大400個(8×8 - 32×32ドット)
BG 3画面
特殊機能 スプライト・BG回転拡大縮小
半透明
ラインスクロール
フェードイン・フェードアウト
シャドウ
本体内蔵メモリ 64GB
端子 本体側面にイヤホン, USB Type-C
バッテリー 3000mAh
その他 Wi-Fi, Bluetooth

レトロスペクティブ

時間・時代というものの、その突端にのみ価値を見出すのがイノベーショナリズム(革新主義)だ。しかし、その「-ism(主義)」は私たちをほんとうに豊かにしただろうか。サティシュ・クマールの言葉を借りれば大事なのは新しさより、生きいきしていることだという。私もそう思う。

包括的な時間全体のなかから最良のものを選びとり、現在をデザインする。生き急ぐ歩みのなかに、生きいきした笑顔は根づかない。私のなかの「レトロ」は、きっと、ずっと、生きいきしていることだろう。

それでは最後に、この理想のレトロゲーム機でプレイしたいタイトル(夢のようなリメイクを含む)を列挙する(挙げだすときりがないので限定的だが)。今回のハードならほぼ満足に移植可能だろう。アーケードなら再現性の高い移植、ファミコン、ゲームボーイなら大幅な「懐古的改訂」移植が期待できる。

レトロゲームマニア垂涎のハード構想になったのではないか。

AC=アーケード, FC・NES=ファミコン, GB=ゲームボーイ, WS=ワンダースワン, PC=パソコン

プラットフォーム|タイトル
AC ゼビウス(1982)
ビデオゲームの金字塔ともよべる偉大なタイトル。世界設定から画面の1ドットまで、すべてがデザインし尽くされていた。天才ゲームデザイナー、遠藤雅伸はこの時より私にとってブランドとなる。
AC グロブダー(1984)
AC スターフォース(1984)
AC ドルアーガの塔(1984)
AC ASO(1985)
AC ガンスモーク(1985)
AC グラディウス(1985)
横スクロールシューティングは、1985年の『グラディウス』をもって完成したといっても過言ではない。システム、グラフィック、音楽すべてが奇跡の融合をはたした。東野美紀の音楽は宇宙への前進と希望に満ちている。
AC セクションZ(1985)
AC スカイキッド(1985)
AC バラデューク(1985)
AC 魔界村(1985)
高難度でありながら何度でもプレイさせるということは、ゲームとしての文脈が一字一句、洗練されているからにほかならない。『マリオブラザーズ』の「床を突き上げ、蹴飛ばす」というやや消極的な攻めにたいし、「撃つ」という積極的な攻めの『魔界村』。ここから私はがぜん「撃つアクション」に傾倒していくことになる。
AC アルゴスの戦士(1986)
AC ファンタジーゾーン(1986)
AC R-Type(1987)
初見の反応は「なんてかっこいいシューティングだ」。プレイをかさねて「まったくよくできている。『グラディウス』以来の衝撃だ」――完全無敵のフォースを常備してのゲームバランスには相当な知恵をはたらかせたことだろう。「クレメンテ・スシーニ」のような世界観は、グロさではなく美の異なる視座である。
AC エイリアンシンドローム(1987)
AC 魂斗羅(1987)
1985年の映画『コマンドー』、1987年の映画『プレデター』。この二作品をもって、アーノルド・シュワルツェネッガーは相手が一個大隊だろうと宇宙人だろうと重武装で戦いまくる人間のアイコンとなった。そのイメージをアクションゲームの子ジャンルとして確立したタイトルだろう。疲れたときはリポビタンDより『魂斗羅』でファイトイッパーツ!である。
AC サイコニクス・オスカー(1987)
AC サイキック5(1987)
AC ライフフォース(1987)
AC ワンダーボーイ モンスターランド(1987)
AC グラディウスII(1988)
AC 最後の忍道(1988)
AC スーパー魂斗羅(1988)
AC 大魔界村(1988)
AC デンジャラスシード(1989)
AC ベイルート(1989)
AC 雷電(1990)
AC タンクフォース(1991)
AC ゼビウス・アレンジメント(1995)
AC 19XX(1996)
FC ボンバーマン(1985)
ロードランナー』の敵が主人公のゲームが出るらしいという程度の期待だったが、とんでもない。ファミコン初期にしてファミコン史に燦然と輝く名作である。後の作品では乗り物に乗ったり、ギミックが過ぎて肥満の感がある。手元に一本残すなら私は初代だ。パッケージのデザインもキャラ立ちする前の一作目がもっとも良かった。
FC 悪魔城ドラキュラ(1986)
ファミコン史上最高のアクションゲームのひとつ。初回プレイで脳髄にムチで打たれたかのような衝撃がはしった。「こりゃあ、ただのゲームやあらへんで」――巨悪に立ち向かうマッチョなタフガイが、たかだかカラスにぶつかられただけでピンポン球のごとく吹っ飛び、高所から落ちて頓死。こんなシュールなファンタジー(空想、幻想)が支配するからこその「悪魔城」というわけである。
FC グーニーズ(1986)
原作度外視、しかし名作――ファミコンにはそういったタイトルがいくつかある。『グーニーズ』もそのひとつ。映画『グーニーズ』を感じさせるのは、ステージ1のBGMがシンディ・ローパーの『The Goonies 'R' Good Enough』であること、それだけだ。が、それがどうしたというのだ。アクションゲームとしてはよくできている。これでいい。これでいいんだ。
FC メトロイド(1986)
FC マドゥーラの翼(1986)
伸びしろはあった――。そんな言葉が似合うタイトルである。今回のハードのスペック×大容量のROM×圧倒的ブラッシュアップを加えれば、サン電子発メトロイドヴァニアの名作に化ける可能性は十分にあるだろう。夢のまた夢の企画ではあるが。
FC 月風魔伝(1987)
FC ロックマン(1987)※FC全6作
私には、終生忘れえぬ「ロボット」が二つ、ある。ひとつは「ガンダム」。もうひとつが「ロックマン」である。『魔界村』以来「撃って当てる」アクション好きになった私に、カプコンはさらなる贈り物をとどけてくれた。ちなみに相棒のゼロのシリーズは「撃って斬る」アクションで、こちらも大好きなタイトルである。
FC ウィザードリィ(1987)
プロデューサー:遠藤雅伸、モンスターデザイン:末弥純、音楽:羽田健太郎――至高の三重奏により、国産『ウィザードリィ』は量子飛躍を果たした。黄色い声も余計な人助けも不用。街中の人間への聞き込みも不用(だったら神宮寺三郎をやる)。戦って勝って奪うのみ。バイナリから無駄という無駄を削ぎ落としたような精髄のみのRPG。ボリュームを増したGBC版シナリオ1も良い。
FC 忍者龍剣伝(1988)※FC全3作
FC 悪魔城伝説(1989)
NES Kick Master(1992)
FC サマーカーニバル'92 烈火(1992)
ゲームデザイン&プログラムは矢川忍。この作品がなければ、後に同氏が関わった不朽の名作『バトルガレッガ(1996)』もなかったのかもしれない。そう考えれば、今ではプレミア価格となりファミコン屈指の高額ソフトとなっているが、このゲームにはそれぐらいの価値はある。「分かるやつには分かる」というアングラ(アンダーグラウンド)な作風は昨今のゲームにはないシブみを放つ。
PC グラディウス2(1987)
『グラディウス2』と『グラディウスII』の区別もできないようでは話にならない――小遣いを叩いて買った、ごついMSXにいまいち意義を見出せないでいた私にとって、SCC音源は「音色」というより「解」だった。「小僧! ファミコンとはちがうのだよ! ファミコンとは!(ランバ・ラル風)」――あれを上回る出力で、もう一度、このタイトルをプレイしたいものだ。
PC イースI・II(1987・1988)
「赤毛」といえば「アドル・クリスティン」である。これは終生変わることはない。この作品の偉大さを一作目にして見抜いた子供の頃の私。ドナルド・マクドナルドも連獅子も、私には「彼」にしか見えない。FM音源練達の士、古代祐三の楽曲『Ice Ridge of Noltia(ノルティア氷壁)』を聴けば、二度とゲームの音を「ピコピコ」などと揶揄できなくなるだろう。
GB テトリス(1989)
30年に一本でるかでないかのゲームデザイン、それが『テトリス』だ。アメリカ大陸を発見したのはコロンブスではないことは、今や常識となりつつある。諸説あるなら、発見者は「アレクセイ・パジトノフ」であるとテストで解答しても正解にすべきだろう。同等の偉業をなしとげたという意味でだ。狭量な教師には分からないだろうが。
GB ゼルダの伝説 ふしぎの木の実 大地の章(2001)
GB ゼルダの伝説 ふしぎの木の実 時空の章(2001)
WS GUNPEY(1999)
ゲームボーイの産みの親として知られるゲームクリエイター横井軍平の遺作。ワンダースワン本体縦使用でのプレイ感覚をとおして、その設計思想に納得させられたものだ。「携帯ゲームの父」ともよばれる偉業をなしとげたクリエイターへのオマージュとして、是非このタイトルを加えたい。

関連記事