協同労働と労働者協同組合法
「協同労働」の本義は「労働の本来性」だろう。株主資本主義や格差の是正、地方の再興を期待できない政治主導をみるに、「協同労働」の意味と価値は今後さらに深まるのではないか。
厚生労働省の「労働者組合法 概要」にある同法の「目的」を要約すると、
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人が生活の調和を維持するためには、意欲と能力に応じた働き方が必要だ。しかし、現在その機会は足りていない。そこで、組合員が出資・経営・従事する事業スタイルに多様な働き方の創出の可能性をみる。また、それによって地域の多様なニーズを満たし、持続可能な地域社会の実現を目指すものである。
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といったところか。額面どおり解釈すると、時代の状況には合っている。ただし、立体視すればきなくさい側面がないわけではない。しかし、今回は正価値と映る側面に注目し、論を展開する。
「これからの時代」を考えるとき、「コミュニティ」は重要な概念だ。「労働者協同組合法」は注目度の高い制度だろう。むろん、どのような制度も理論も「実際」という複雑性に放り込んでみなければ分からないことはある。それはさておき、タイミングとしては興味深いアクションであり、この点についてもう少し掘り下げるとしよう。
株式会社と協同労働、働き方の違い
株式会社と協同労働、その労働構造を比較してみる。
一般的な株式会社はヒエラルキー型だ。
株主は企業に「出資」し、「配当」を得る。
経営者は労働者に「賃金」を支払い、「労働」を得る。
労働者は「労働」を提供し、「賃金」を得る。
しかし、株主資本主義への過剰な傾倒によって、この循環に歪みが生じている。主たる原因の一つは破壊的創造主義である。およそ「イノベーション(革新)」なるものは労働節約的技術革新のことである。換言すれば労働分配率の低下を推し進める技術であるから、ヒエラルキーの下部になるほど価値が散逸する。
「夢は正社員」という言葉は今でもポジティブに使われているようだが、不思議なものだ。社会保障費の負担増には文句を言うのに、株主層の奢侈を支えるためのポストは垂涎の的。 最下層における正社員と派遣社員のちがいなど、土佐上士と土佐郷士の身分格差よりおぼつかないものである。搾取構造に変わりはないというのに、まこと不思議なものである。否、じつは分かっている。溺れる者は正社員をも掴むという苦肉の策であることを。
代案とはまさにこの事象にたいする提案である。
一方、労働者協同組合における労働は「協同労働」型となる。「出資」、「賃金」、「労働」は統合され、組合員が「株主」、「経営者」、「労働者」の三役をこなすことになる。これを一般的な企業の構造と比して「より民主主義的」とする評価もある。たしかに、多側面の一つとして、可能性として、そのような視点もあるだろう。
協同労働の課題
反対に、一般的な企業の構造でないがゆえの課題もある。たとえば、組合員全員が一般人である場合、巨額の資金は準備できない。高度な技術や専門的知識をもつ人材も得難いだろう。とくにビジネスモデルにおいては熟考を要する。よほどかゆいところに手がとどくニッチなサービスでなければ、地域の既存の事業との競合を生む可能性がある。競争ではなく共存・共栄という、営利一辺倒ではないコンセプトが必要になるだろう。
その精神的側面においてはどうか。労働者協同組合は非営利団体に位置付けられている。ここから民主性、多様性、奉仕性といった「リベラルマインド」に傾倒すれば、偏頗な活動に沈滞するだろう。そうなれば社会的マイノリティのセーフティ機能やセカンドキャリアの受け皿といった類のイメージを払拭できない。
「協同労働=民主主義の本来性」という安易な言論も気がかりだ。現在の株主資本主義とて、民主主義の手続の上にある帰結であることを忘れてはならない。平等や公正の原理が往々にして多数派原則に落ち着かざるをえないことは、民主主義のジレンマであり致命的欠陥である。
協同労働からより良き「イズム」を構想するならば、民主主義の欠陥と反省に立脚すべきだ。既存の民主主義が見落としている、さらなる人間への了解に達する必要があるだろう。
そこで必要になる種々の「議論」についてはどうか。トップダウンに慣れきった「社畜」として草を食む慣習は通じない。まともな「議論」など日常的にほぼ皆無、「議論リテラシー」のないものによる「議論」は、えてして「諍論(じょうろん)」に終始する。序列なき組織にありがちな群衆的光景を回避するためには、ビジネス倫理(モラル)と高いレベルの志気(モラール)とがもとめられる。
これらの課題をクリアしたうえで、価値の提供、社会貢献という事業の普遍的尺度で一定の規準に達しなければならない。この道理に労働構造は関係ないだろう。
このように、「株主」、「経営者」、「労働者」の三役をこなす組合員にもとめられる要素は意外に多く、規準も高い。安易に企業社会をドロップアウトした先の「駆け込み寺」になってしまっては、「協同労働」は「代案」として世間から公認されない。
「労働者協同組合」なるものがさしあたり目指す地点は、すでにみたとおり「まっとうな代案としてのポスト獲得」だ。結婚相手を紹介するときに「労働者協同組合の組合員をされている方で…」といって話がこじれるようではいけないのである。
協同労働のアイデア
協同労働のビジネスモデルについて考えを進めてみよう。思いついたのは「伝統工芸」だ。現在、日本には約1300種もの伝統工芸があるという。しかし、継承者は減りつづけ、あと10年もすればかなりの数の伝統工芸が「絶滅」してしまうかもしれない。
「伝統工芸」という産業、産地が衰退の途にあるのはヴァンダリズム(文化破壊)の影響ばかりではない。アーティストが高齢化し、その価値や魅力をブロードキャストするノウハウがないこともあるだろう(破壊的創造主義の走狗たる大手メディアは絶滅危惧を報じるだけである)。
このような状況にたいし、協同労働が建設的に機能できれば、それはスキーム(案、図式)として発展する可能性もある。アプローチとしては「補強、補完」と「派生、アレンジ」があるのではないか。
「地域の多様なニーズ」と「持続可能な地域社会」を軸に考えれば、かならずしもゼロから創出する発想にとらわれることはない。すでにあるものの「補強・補完」あるいは「派生・アレンジ」という再案・代案による再起動。文化、伝統において一日の長がある日本という国ならではのヒト・モノ・コトのルネサンス。その可能性を協同労働にみる青写真は、コロナ禍を経て日に日にそのリアリティを増している。
労働者協同組合法を契機とし、今後、協同労働というものに注目し、掘り下げていこうと思う。ちなみに、労働者協同組合法において「人材派遣」はできない。この制限にかんしては「よくぞ見落とさなかった」と拍手を送りたい。

イノベーショナリズムの本流の激湍、その外にいてこそ、再発見できるものがある。協同労働が足元を見つめ直す、観照のための支流・傍流となれば、凋落の先にあるものを照らせるかもしれない。

地域から、協同労働から「生きる」を提案できる日がくるかもしれない。





























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