カーストマインド
公園のママ友関係から神話にいたるまで、人は遍く官僚的構造、つまりピラミッド型、カーストマインドへと収斂、自己組織化されるのだが――カーストマインドそのメカニズムと内実。
認識村の村内
以前『認識村』という記事を書いた。この記事はそのつづき、「認識村の村内」についてだ。
空間的には存在しないが、人間にとっては最大級の影響力をもつヴァーチャル・コミュニティー認識村。その村内には牧歌的な景色が広がって……はいない。物々しい壁をくぐったその先は、さらに物々しい、固く、尖ったピラミッドが聳立し、村民は位階に応じた階層で世過ぎに没頭している。
このピラミッドはカーストマインドのことだ。村の存在意義であり価値の中核である。ピラミッドの構成員はプロビデンスの目★1ならぬプロヴィジョンの目(後述)の御眼鏡にかなうべく、まさに一所懸命を己が生のかまえとする。
ピラミッドであるからには、ヒエラルキーであり、つまりカースト的である。そして、その構造を機能させるべく、むろん、ドグマ★2が存在する。位階を決定づける基準は個々のピラミッドそれぞれだ。資産の多寡、出身大学のランク、斯界における権威性、はたまた容姿の美醜、SNSにおけるフォロワーの数や腕力にいたるまで、あらゆる要素が基準になりうる。そのほとんどは、統治の機能の必然性を超えて過剰、過価値であり、普遍的合理性を政治的に捨象している。ゆえにドグマなのである。
★1 プロビデンスの目(Eye of Providence)――キリスト教における神の全能の目を意味する意匠。三位一体の象徴である三角形と組み合わせて用いられることがある。
★2 ドグマ(dogma)――教義、教理。組織などによって公認された教条、また、独断的な説、意見。
★ センメルヴェイス反射――常識や通説、信念にそぐわない事実を拒絶する傾向のこと。オーストリアのウィーン総合病院産科に勤務していた医師センメルヴェイス・イグナーツは、産褥(さんじょく)熱が接触感染である可能性に気づく。そして、予防法としてカルキを使用した医師の手洗いを提唱する。しかし、その方法論が理解されず、大きな排斥を受け不遇な人生のまま生涯を終えた。センメルヴェイス反射(Semmelweis reflex)という用語はその史実に由来する。
プロヴィジョン
プロヴィジョン(provision)の意味は糧、敷衍してここでは「活動の本源」という意味であつかう。自己実現的欲求に必要な、長期的、持続的に支給、供給されるもの。立場や給金等、利益体系の総観である。
村民はピラミッドの住人になるに差し当たり――プロヴィジョンのために、おのれを境位に劇しく適応させ、分化させる。そのベクトルは強大で、人により、愛縁、所縁(認識対象)、文化、慣習といったものにいたるまで、弊履を棄つるがごとき態度をとるものもある。センメルヴェイス反射で守らんとするものも、プロヴィジョンが本丸だ。プロフィット(profit、利)はその内の主として金銭的なものを指す。
たとえば、カルト集団のドグマに信伏した人間が、家族からその集団を抜けるよう言われる。しかし、「彼らは家族の姿をかりた悪魔であるから、けっして屈してはならない」となり、家族と絶縁するというようなパターン。長期的な心の糧としてのプロヴィジョンが血縁をねじ伏せた結果だ。
プロヴィジョンには、「未来」あるいは「危機」と併存せざるをえない人間という生物の性、その首根っこを押さえる普遍的な力がある。用意されたものプロヴィジョンが十分に感じられるものであればあるほど、それは不退転の態度となり、壁内人として一生を捧げる覚悟となるのである。
そして壁内のカースト(あるいはドグマといってもよい)が唯一絶対、遍く価値判断の規範となる。当然だ、それなくして所属のメンバーシップはありえないのだから。そうして場合によっては、壁外のものを無関心の彼方へ放擲したり、あるいは劣等視する。つまりカーストマインドである。結果、彼らはある種の選民意識と自負心とを錯覚したまま、壁内で俗了する。カルト集団のドグマに信伏した人間が、場合によっては二度と再び家族と縁が戻らぬように、生を了するのである。
否、無事に生を了することができればまだいい。だが、実際、ここには大きなリスクが存在する。「provision」の「pro」は「前に」であり「vision」は「見る」であるから、それは未来への展望を意味する。つまりプロヴィジョンへの信奉は、未来への展望という仮想、不確実性を多分にはらんでいるのだ。にもかかわらず、生の態度、およそすべての重心をプロヴィジョンにとる、ということは、生のあらゆる側面での破綻の可能性をも受け入れた、相当な覚悟でなければならないはずである。しかし、ピラミッドの住人たちにその覚悟をみることはまずないといっていい。
彼らはプロヴィジョンのために、比較的安易に、自らにロボトミー(神経径路切断手術)を施したようなものだ。仲間、組織、党派、階級、職業等、宗教でなくとも、その実態によっては、いずれも「カルト指定」してさしつかえない質のものなのだ。あなたが同種でなければ、彼らに交際の妙というものは期待しないほうがいい。
互いのピラミッドでど突き合い
カーストに組み込まれた人間は、徹底してドグマに恭順する人間であるから、アルゴリズム★3は単純である。ゆえに相応の対応をすればいい。一般的には、せいぜい「また税が上がりましたね」とか「コーラにメントスを入れると噴き出すらしいですね」とか、普遍にして浅薄な付き合いに止めておくのが平衡の観点から無難だろう。
彼らは腹の奥底に、先の尖った、不磨の大典のごとくカーストのピラミッドを隠し持っている。深部に関わると、にわかにそれを持ち出して、突いてくるにちがいない。が、それにたいし、論駁のレトリックなどを振りかざすこともやめたほうがいい。なぜというに、会話や議論の意味や価値はどこにあるのかといえば、それは弁証法的な趣、あるいは快活な娯楽性等にあるのであって、論駁の応酬なら自問自答のほうがずっと有意義だ。そも、言葉は天然資源同様、可能なかぎり清潔にあつかわれるべきものだし、時間の浪費も不徳である。
問答無用――それは『認識村』の結論から一貫している。彼らは透徹した打算にもとづき、そうしているのだ。その選択に伴うリスクもある程度は承知で、そうしているはずだ。ピラミッド構造もドグマも、彼らにとっては生のよすがである。違法でないかぎり、それについて他人が容喙すべきではない。
互いのピラミッドでど突き合うような真似は、それを演じれば値千金のプロヴィジョンが得られる、という場合にかぎったほうがいいだろう。むろん、メディアの住人以外にそんな場はまずないのである。
★3 アルゴリズム(algorithm)――問題解決のための定型的手法、技法。
カーストマインド
街を見渡せば、物的には大小、直方体の建物群を見るが、人の実際のありさまとしての街は、大小のピラミッドがびっしりと地を覆っている。そして人々の頭もまた丸みを帯びた頭蓋は現象の皮相にすぎず、実際は四角錐、ピラミッド・ヘッドである。
公園のママ友関係から神話にいたるまで、人は遍く官僚的構造、つまりピラミッド型へと収斂、自己組織化される。しかし、実直な科学、あるいは無垢な自然の視点が目の当たりにするものは、無規定にして透徹した運動であろう。人がやはり単純なピラミッド構造で示す生態系も、実際はもっと複雑な、運動という解釈がふさわしいものだろう。
かたちは運動の現れにすぎず、それはときに螺旋であったり回転であったり、さまざまだ。しかし、それも運動の時間と空間の交点がヒトの視覚にはそのように見えているにすぎない。ましてや最初にかたちを用意して詰め込むきらいは人間独特のものであり、同時にピラミッドは人間の知的運動の偏頗を象徴するようなかたちでもある。
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と皮肉ったが、なるほど、言い得て妙だ。宇宙空間を漂うピラミッドならば、その頂は形骸、上下の価値はない。より大きな自然のフレーム、すなわち宇宙的自然観において、地上のピラミッドゲームが、そのカーストマインドがいかに不自然にして矮小か。ママたちから神話の神々、むろん認識村に住所をおく村民も、たまには思い馳せていただきたいものである。
ピラミッドの頂だろうと底だろうと、他律に固執した生を礎に建つ金字塔の玄室になど、結局、なにものの魂もおさまらないのではないか、そう思うのである。