フレキシビリティ

フレキシビリティ
問題の中核は柔軟性フレキシビリティの欠落

コロナ禍というごたごたのなかで急遽スポットを当てられたリモートワーク、テレワーク。これらは「コロナ対応策」だったというのが、どうやら多くの世人の認識のようだ。現代は医学にかぎらず人の思考まで対症的だ。目睫の状況のみがすべてで根本的なことは見ない。棚上げされた問題の核心は時々刻々と山積し、あるいは陰でより悪性を増し、いずれ我が身にふりかかる仕儀となる。問題の中核は「柔軟性フレキシビリティ」の欠落である。

リモートワークはコロナ対応策という近視眼

コロナ禍というごたごたのなかで急遽スポットを当てられたリモートワーク、テレワーク(以下リモートワーク)。これを近視眼的に「コロナ対応策」とうけとめる世人の多さに驚いた。日々、念仏のようにアナウンスされる感染者数なんぞより驚いた。私は職業柄、リモートワークはコロナ禍のはるか以前より常軌であり、この認識のギャップから敷衍して論を展開する。

ひとつのアドレスに集中させず、多様な回路でアクセス可能とする、いわば情報網強靭化――インターネットなるものの意義は、1969年、アメリカのペンタゴン(アメリカ国防総省)発の「ARPANET」以来変わっていない。

非常事態の最中にこの原意に立ち返れば、リモートワークが「コロナ対応策」で結着するのは近視眼的といわざるをえない。「不確実性の増大する現代における新たな標準のひとつ」という視座に行き着いてもいいはずだ。

しかし驚くべきことに、リモートワークは「コロナ対応策」で終始した。さらに話はその弊害へと展開する。「能率がわるい」「表面的な情報のやりとりしかできない」云々。これでは今後の不確実性、たとえば南海トラフ地震等において、またしても社会は活動の硬直、継続不能に難儀するしかないわけだ。

「パンデミック条約」なるものを周到に準備するあたり、同様の事は想定、あるいはされている――これは陰謀論でもなんでもない、ただの推理である。

そのような大不確実時代において、危機対応の結着点は単なる経験への「感想」ではなく、より強靭な「構想」におかれなければ非建設的きわまりない。

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過去を忘れる者は必ず同じ過ちを繰り返す/ジョージ・サンタヤナ

柔軟性フレキシビリティなくして多様性ダイバーシティ持続可能性サステナビリティもなし

メディアはLGBT(Lesbian、Gay、Bisexual、Transgender)だSDGs(Sustainable Development Goals)だと騒いでいる。しかし、多様性や持続可能性の必要条件である「柔軟性」についてはどうか。このことを先に議論しておいたほうがいい。

そも、LGBTもSDGsも「良識」の名の下に意識されてきたことではないか。個人的な経験でいえば、K-1の選手、マーク・ハント★1似のおっさんがセーラー服を着ていてもコミュニケーションの障害にはならなかった。暮らしの場面ひとつとっても、人間、社会、自然との調和を意識する、そんな心掛けは今さら言われるまでもないことだ。

それよりも実地で経験してきた問題の中核は「柔軟性」の欠落である。個人の性の表現への無理解や、持続性(無分別といってもいい)なき振る舞いを諌める調整機能はまだ機能しているほうだ。硬直した意識とでもいうべき「柔軟性」の欠落――これには今以てまったくといっていいほど物言いがつかない。

★1 マーク・ハント――キックボクサー、総合格闘家。サモア系ニュージーランド人。K-1 WORLD GP 2001王者。身長178cm、体重120kg。

がちがちに硬化したルールは
統率力どころか弱体化に転ずる

たとえば硬直した意識の最たる具現のひとつに「働き方」がある。

個人のパフォーマンスはそれぞれであり、能力のピークに達する時間帯も、朝方の者、夜半の者、それぞれである。真に「営利」と「効率」を目的とするなら、この事実、バイオロジックを利用しない手はない。

私がチームリーダーだった仕事においては、各人がチームにもとめられる役割だけを掲げた。持ち場と使命だけでいいと考えた。むろん、ガントチャートのかたちでタイムリミットは共有される。時間内に目的が達成されるなら、その道程は「柔軟」であったほうがよい。効率の面からも、ストレスの面からも。

結果は上々だった。たとえば、パフォーマンスのピークが夜半の者は、深夜に作業を集中させることにより成果物のクオリティを上げた。彼らのようなバイオロジックをもつ人間にとっては、朝9時から昼過ぎまでは能力的に仮死状態だという。杓子定規な時間的制限はコウモリに昼間に狩りをしろといっているようなものである。

ビジネスシーンにおける個人の「裁量」という言葉は多くの場合、単に杓子定規な制限の直線に幾分の幅を与えているにすぎない。目的まで自分なりの自由な線が引けてこそ裁量、否、「信頼」である。「信頼」は「柔軟性」に必要な重要なファクターであり、それがひいては「生きいき」という活力にもつながる。

仕事における柔軟性は、チームとしての強靭化につながる。がちがちに硬化したルールは統率力どころか弱体化に転ずる可能性が高い。

個人としてはゾーンに入る★2創意工夫をし、一方、仕事上発生した問題、悩みどころは忌憚なくチームでシェアする――これも私がチームリーダーとしてメンバーに告げたことだ。とくに問題のシェアは重要で、時間に余裕のある者はメンバーの問題解決をサポートすることを最優先タスクとした。これは効率化と同時にチーム全体の士気を一定の高さに保つために必要だと考えている。

いまだに企業の募集要項で「服装自由」とか「髪型自由」などという文言があるが、「ダメだこりゃ」と呆れ返る。むろん職種にもよるが、可能な範囲で、好きな格好で気分よくさせたほうが人はよく働くにきまっている。もはや無意味といわざるをえない煩瑣なことばかり掲げているのをみると、そういう企業は効率よくカネを稼ぐ気はないのかと疑う。「利」までのルートには「柔軟性」をもたせておいたほうがとりっぱぐれは減るものだ。

全国のDVの認知件数は年間約8万件、いじめの認知件数は年間約50万件――そこには迂回路なき柔軟性の欠落が少なからず関係しているのではないか。柔軟性不足からの不幸はありとあらゆる局面に瀰漫びまんしている。こちらの問題もレインボー扱いで目立たせてほしいものである。

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自動症的(意識)状態から創造的・建設的な仕事ができるものだろうか。私の経験からいえば、それはない。

★2 ゾーンに入る――集中力が高まり、余計なことが自然に抑止される意識状態。 意識の内容は透徹し、創造性を発揮する。

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