統合失調症社会[I]経済編

統合失調症社会[I]経済編
デフレ、PB黒字化、MMT

モジュール間が相互に絶縁され機能障害を起こした全体性なき全体、また、そのような思考が蔓延る社会。これを統合失調症社会とよぶことにする。今回は統合失調症社会に陥った「日本」の「経済」にスポットをあてる。そこにある具体的な現象「デフレーション(以下デフレ)」の淵源は「統合」を「失調」したことによるものである、という視座で論を展開してみよう。

頭の中まで縦割り化、
統合失調症に陥った人と社会

現在の社会システムにおいては、個人は否応なしに部分的専門性をもとめられ、統合性は失われる。ホリスティック(全体を包括的に捉える態度や考え方)な能力は退化する一方である。そのことがシステムにフィードバックされ、最終的にはシステム自体が統合能力を失う。

たとえば、大腸・直腸・肛門の疾患を対象とする「肛門科」なるものはじつに象徴的だ。それらの部位に起きる疾患の究明には「身体」という全体性を視野に入れる必要があるはずだ。生体の器官というものの、一見すると局在的な構造と秩序は、全体性(身体)というよりメタな前提からやってくる。つまり、疾患の原因は専門外領域と連関しているかもしれない。

肛門の疾患だけをまじまじ見つめた末の治療は、姑息的治療に終わる可能性がある。これは統合的思考においては当然の帰結である。

現在、多くの人や組織は、システムの内部構造としての部分的活動単位にもはや病的に終始している。喩えるならば、みな肛門科である。マニアックすぎるといいたい。

(前略)
神経系は、それを養う身体なしに、身体が呼吸する大気なしに、大気が包む地球なしに、地球がまわる中心にある太陽なしに生きている、と考えられるものだろうか。さらに一般的に言えば、孤立した物質的対象を想定すること自体が一種の背理を含んでいるのではないか。というのも、物質的対象は、その物理的諸特性を他の対象と取り結ぶ諸関係に負っており、そのさまざまな規定のいずれも、ということはつまり存在そのものすら、宇宙の総体において自分の占める場所に負っているのだから。
――
アンリ・ベルクソン/杉山直樹訳、『物質と記憶』講談社学術文庫、2019年
イメージ

ドベネックの桶――リービッヒの最小律。桶の高さがどれだけあろうと、溜まる水嵩は一番短い板の高さまでとなる。不均衡のメタファー。

統合失調症社会――その経済(1)
全体性なき経済観

近年、MMT(Modern Monetary Theory)★1の輸入を契機に――あるいは貧困・衰退・没落が焦眉の問題となり――カネの仕組み・経済の仕組みを焦点とした論が展開されている。 しかし、MMTをはじめ新たなアイデアの是非を問う前に、対象の全体をみることが重要だろう。

日本の経済的宿痾となったデフレ。その全体を俯瞰すれば、MMTが瞬間的な特効薬となり、すべてが解決に向かうものではないとわかる。

日本のデフレという病理は、まずもって「国家意識の喪失」という全体性の喪失からきている。その表れのひとつとして、現在の日本の経済的「セオリー」といっていい「プライマリー・バランス論★2」がある。

この「セオリー」が国家の没落、また、他国との競争において後塵を拝しつづける原因であることは、種々のデータで明らかにされている。その「セオリー」を容認、採択しつづけるというのは、部分の権威を保持せんがため地動説を封印した14世紀の教会と同じだ。

MMTをはじめとする、カネ、経済の理論的議論の前に、まずは病理を確認しなければならない。さもなくば、MMTが実践の段階へ進んだとて、相対性理論の使いようによっては核兵器への経路があるように、同様の可能性を含む。つまり手段が支配欲動に堕するということだ。具体的にはMMTからの財政政策に乗ずるレントシーキング★3のような「部分の支配欲動」への警戒。あるいは海外の養分として流出することへの警戒である。

統合失調症社会がその経済の歪を立て直すための順序は、まず全体性の確認である。その後、あるべき理念を俎上に載せ、次いで実践のための理論と法、それにもとづく機関を用意する。理論や技術論の是非が先走って展開されること自体、すでに全体性を欠いている証である。

全体性なきMMTもまた姑息的治療に終わる可能性が大だろう。肛門だけは健康になったが、当の本人は以前、血色の悪い病人同然のありさま というのは避けたいものだ。

★1 MMT(現代貨幣理論、Modern Monetary Theory)――ケインズ経済学・ポストケインズ派経済学の流れをくむマクロ経済学理論の一つ。変動相場制で自国通貨を有している国家の政府は通貨発行で支出可能なため、税収や自国通貨建ての政府債務ではなく、主にインフレ率にもとづく財政規律が必要であると主張する。

★2 プライマリー・バランス論――税収と一般財政支出を均衡させようという論。

★3 レントシーキング――組織または個人が政府や官僚組織へ働きかけ、法制度や政治政策を自らに都合よく設定するなど、部分的利潤を得るための活動。

統合失調症社会――その経済(2)
デフレとプライマリー・バランスとMMT

統合失調症的経済観が「デフレ」を日本経済の宿痾とした可能性については前段で述べた。ここからは「デフレ」なるものについて、できるだけシンプルに、分かりやすく、要点だけ掘り下げる。

デフレとはつまり、世間をまわるカネの流れが細って、経済的活力がない状態だ。政府以外にカネを作ることはできない――通貨発行権をもつ政府以外が通貨を作れば犯罪だ――。そこで、皆が互いの財布からカネを頂戴すべく知恵をしぼる。価格破壊などをやってみる。しかし破壊されるのは世間の活動である。小さな水筒を全員で回し飲みしているようなものだ。

ここから、カネをにたとえよう。デフレは民間という名の水槽タンクが足りない状態だ。水槽自体には水源(通貨発行能力)がないのでの供給は水源をもつ政府に頼らざるをえない。その政府が水源からの湧水を使うのをしぶる(プライマリー・バランス論)とどうなるか。

現在の日本の状態を簡略した絵とともに考えよう。