不確実な時代の活動デザイン

不確実性の増大した時代。
活動をリデザインする必要性

「不確実性」という言葉の定義は種々あるが、ここでの「不確実性」とは平たく「予測も管理もできない事象」とする。コロナ禍は不確実性のきわめて顕著な事象だろう。その他、昨今の世間はこの「不確実性」だらけだ。人口動態、社会保障、国防、経済等。「不確実性の増大した時代」は「活動をリデザインする必要」がある。確実性の土台の上に積み上げるデザインから、不確実性のダメージが前提のデザインへ。

不確実性の増大は周期的問題

経済産業省・厚生労働省・文部科学省の3省で共同執筆された『2020年版ものづくり白書★1』に興味深いデータがある。データによれば、「不確実性」は2008年のリーマンショックあたりから右肩上がりの増大傾向を示している。しかも、傾向線を見るかぎりにおいて、コロナ禍もまた不確実性の増大傾向の一事変にすぎない可能性を示唆している。今後もコロナ禍と同等かそれ以上の不確実性の衝撃がありうる、という見解は自然だ。

このデータを頭の中で敷衍してみれば、過去には不確実性のきわめて大きな衝撃として「第2次世界大戦」があった。その後、昭和・平成という勃興と繁栄の季節(春夏)からじょじょに煩雑さが増大(エントロピーの増大)。破綻や衰退の季節(秋冬)へとさしかかった、それが令和という時代だろうとの察しがつく。

この大きな流れにたいする解釈、鳥瞰図なしに令和という時代の海を渡りきることは困難だろう。つまり、父母の生きざまをトレースすることはできないし、しようものなら時代特有の抵抗が生じるはずだ。とくに昭和に顕著だった「確実性の土台の上に積み上げるデザイン」はもう使えない。令和以降は「不確実性のダメージが前提のデザイン」が効果的になる。

★1 2020年版ものづくり白書――2020年版ものづくり白書

イメージ

「不確実性」がゲームのルールとなった今、かつてのような確実性に憧れてもしようがない。意識をシフトすべきだろう。

ダイナミック・ケイパビリティの重要性

2020年版ものづくり白書』にもでてくる「ダイナミック・ケイパビリティ」というキーワード。ただ、これはあまりにも冗長なカタカナなので、拙論では以下「即応力」とする。「即応力」を端的に説明するとこういうことだ(下図)。

[a]不確実性が増大する以前は、現在から未来にたいしてある程度の予測ができた。そのため、静的に目標を仮定し、それに向けた計画が有効に機能した。
[b]不確実性が増大した現在、未来はブラックボックス化した。そのため、目標の仮定もそれに向けた計画も実現可能性が低い状況となった。

[c]そのような状況では不確実性から突如として現れる動的なターゲットに対応可能な能力が必要になる。つまり、とっさの即応力(ダイナミック・ケイパビリティ)を高める必要がある。

ちなみに同資料ではダイナミック・ケイパビリティの能力を野球のバッターにたとえ、胸元まで引きつけて、球種を見極め、速いスウィングとバットコントロールで確実にヒット!どんな球種にも瞬時に対応可能なバッターを目指すべし、とある。

しかし、そういわれて「じゃあそうするか」と思える人は少ないはずだ。なぜなら、そんな芸当ができたバッターといって思い浮かぶのは「イチロー」――天才的な能力が必要とされるなら、いっそ不確実性の海に沈んでしまおう、そう腹をくくる人がいてもおかしくはない。

そこで、もう少し難易度を下げたアイデアをだそう。必要なのは「即応力」だ。その本質をはずれさえしなければいい。

壬生の狼と恐れられた新選組も、その戦術はじつに用心深く慎重だったという。その新選組にならい、剣のみ頼らず正攻法にこだわらず、退回もまた戦術のうちとしようではないか。不確実性の衝撃にたいしては、正面から適応するのみならず、あざやかに去なす、逃げるという「即応力」もある。

イメージ

「不確実性」が標準となった以上、あらゆる産業の構造を不確実性にたいする耐震構造にリデザインしなければならないだろう。現在はまだリデザインができていない。雇用の調整弁として非正規雇用で不確実性に対応するといったやり方はパッチ(継ぎはぎ)的対策であって「デザイン」ではない。

退回も戦術のうち

不確実性の増大した時代の「即応力」といって、単純に思い浮かぶのはカネ(資本)である。なにがどうなろうと、この世界、カネの通じぬ場所はない――地獄の沙汰も金次第――。したがって、潤沢なカネをお持ちの方はこの先を読み進める必要などない。あなたにはすでに退路がある

さて、即応のためのカネも天賦の才もない場合はどうするか。答えはすでに見たとおりだ。つまり、極力カネをかけずに退回する。具体的には、目標までの主流の間にいくつもの傍流をつくる。人生のあらゆる計画を「破綻を前提とした計画」にする。夢も希望もないと感じるだろうか。そう感じるならば、日本人を煙に巻く常套手段である「カタカナ化」を使ってニュアンスを変えてしまおう。

これからは
ダメージコントロール・プラン

これで少しはテクニックらしい響きになっただろう。略して「ダメコン・プラン」。オーバーシュートよりはるかに直感的でいいネーミングだ。その内容は上述のとおり計画は常に不確実・破綻を前提とし、目標までの間にいくつもの(ダメコンのための)傍流をつくる(下図)。

計画の最初から複数のダメコン目標を設定する。状況を時々刻々チェックし、もっとも実現可能性の高いルートを選択する。大切な点は、ルート上でひとつの目標が達成、あるいは頓挫した場合、その時点の成果を資産として次に活かせること。不確実な現象に遭っても御破算にならぬよう、ダメコンを考えながらどの目標ポイントを通るかのルート選択が重要になる。組織であれば部隊を複数に分ける必要もあるだろう。

活動「場面」のダメコンという考え方もある。活動の場面が一箇所に偏らないようにダメコンすることだ。現在(確実的課題)と未来(不確実的可能性)をy軸、自律(スタンドアローン)と他律(ネットワーク)をx軸とする。

「現在・自律」は生業や副業といった活動。只今の収入になるもの。「未来・自律」だと自発的活動、将来役立つかどうか分からないが強い関心(積極的な心構えと感情)で取り組めるものをさす。

「現在・他律」は従業・契約といったかたちをとる活動で、いわゆる「雇人」となることだ。「未来・他律」では従業・契約といった縛りはなく、強い関心を共有する他者との組織的活動、ということになる。

不確実性の増大した今これからこそ、世間も声高にいっている「やり直せる社会」、そのための制度は必備だろう。しかし現実は「自己責任」である。この乖離を埋め合わせるのは難題だ。無傷で行うのはそれこそ、天才的な能力がもとめられるかもしれない。だからこそ「ダメコン」なのである。

就職にせよ、結婚にせよ、住宅購入にせよ、ビジネスにせよ、何にせよすべての場面の未来はこれまで以上に濃い藪の中だ。薮に馬鍬(まぐわ)★2という言葉もある。心が折れてしまうぐらいなら、いつでもどんづまりでやり直せる用意を。「裸一貫でもやり直せる社会」はまだまだ、夢のまた夢なのだから。

★2 薮に馬鍬――薮の中で馬鍬を使用する意で、できないことを強いてするたとえ(『広辞苑 第六版』岩波書店、2008年)。

関連記事