虚飾症

虚飾症
失笑を禁じえないビジネス用語

ふつうに言えよ――そう言いたくなる気持ちをぐっと抑えつつ、失笑を禁じえない「ビジネス用語」について論じる。その深層にあるのは、技術主義を舞台とする「模倣」とある種の「堕落」である。

虚飾症

日本の1人当たり労働生産性は低いとか、じつは高いとか、諸説ある。私の労働現場体験から言えることは、たしかに、無駄は多い。なかでも都市部の労働現場には「ブルシット」といわざるをえないものがある。空しいポーズ(見せかけの態度)でしかないこれら「無駄」に雷同する状態を虚飾症と名づけよう。そのなかから今回は「言葉」に注目する。

ビジネス用語だから――真顔で言うのだから、日本のビジネス空間も良くなりそうにない。ふつうに言えよ――そう言いたくなる気持ちをぐっと抑えつつ、次に紹介する「ビジネス用語」の意味が分かるだろうか。ちなみに「ビジネス用語ではないもの」をいくつか混ぜてある。これらの語彙が労働現場で自己満悦とともに交わされる事実に失笑を禁じえないだろう。

  • アイスブレイク
  • アジャイル
  • エスカレーション
  • NR
  • オンスケ
  • クレセントライン
  • コアコンピタンス
  • コストリダクション
  • ジャストアイディア
  • トリックランディング
  • ナーチャリング
  • メイクセンス

なんじゃこりゃ? と思うほうがまともである。ひとつも分からなかった人は虚飾症に罹患していない。 では答えを見てみよう。用例も付けておく。

用語
アイスブレイク 初対面等の人同士が出会う時、緊張を解き、和やかな雰囲気をつくること。
田中、今週の新人歓迎会だけどな、アイスブレイクとして頭突きで氷柱を割るアレ、やってくれよ
アジャイル 「agile」は「すばしこい、身軽な」という意味で、ソフトウェア開発等を短期間で行うこと。
初日でブラック企業だと分かったので、アジャイルで引継ぎ資料をつくることに
エスカレーション 「escalation」は報告や要請を上司へ伝えること。
社内公用語は英語だから、ホウレンソウじゃなく「エスカレーション」と言わないと減給らしいよ
NR 「No Return」の略で、帰社せず直帰すること。
「NR(ノイズ・リダクション)の件は片付いたんで、NR(No Return)でよろしく」
「分かりにくいんだけど、直帰するってことだね?」
オンスケ 「On Schedule」の略で、予定どおりに進んでいること。
オンスケで人が辞めていくな
クレセントライン 対戦型格闘ゲーム『ストリートファイターZERO3』のバルログの技。
★ビジネス用語ではない。
コアコンピタンス 「core competence」は競合他社に真似できない自社ならではの「能力」のこと。
当社のコアコンピタンスは、社員全員がうつ病を患っていることによるソフトムードだ
コストリダクション 費用削減のこと。
解雇理由に「コストリダクション」て書いてあるんだけど、どういう意味?
ジャストアイディア 「思いつき」のこと。
ジャストアイディアでものを言うんじゃない!
トリックランディング 対戦型格闘ゲーム『ストリートファイターZERO3』のロレントの技
★ビジネス用語ではない。
ナーチャリング 見込み客の興味の度合いに応じて段階的に商品の情報提供を行うこと。
「ナーチャリング」とかいって、くだらねえメルマガ送ってくるんじゃねえよ! 配信止めろ! 今すぐ!」(ちなみにこういうのを「今すぐ客」とは言わない)
メイクセンス 「理解する」こと。
真顔で「メイクセンス」とか言ってるキミの頭のほうがメイクセンスに苦しむよ

こんな調子の言葉が100以上も飛び交う現場もあるとかないとか。グローバル化だなんだと騒いでその実、母語も外来語もぐだぐだ。こんなキッチュ(俗悪なもの、ここでは低俗な虚飾、kitsch)な言語野が労働現場の先端だというのだから、先は暗い。日本の労働生産性がOECD加盟国中、何位なのかはともかく、上昇傾向にないことは、その舌先から漏れ出ている。

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「最近、デプレッション(うつ)気味でさ」
「……気のせいだろ」

キッチュなビジネス用語はどこからくるのか

キッチュなビジネス用語の淵源のひとつは「技術主義」である。たとえば「SEO(Search Engine Optimization)につよい記事」などという言語操作はネット時代ならではのものだ。そこでは谷崎潤一郎や永井荷風を手本とはしない。只々、システムに拝跪した基準をもとめ、価値とする。システムの眼鏡にかなうことができれば商機が得られるとばかりに雷同する。

技術の小道具は当たり前のように、「アカウント」、「デバイス」といったカタカナを基本としている。それらの意味を知ることは現代を生きる上で当然のリテラシー(知識・能力)である、などという。

ビジネス用語の他にもSNS等で交わされるスラング然り、技術の小道具を技術主義の端末とし、キッチュな言語は瀰漫びまんする。それがなにゆえ「虚飾」で「自己満悦」かといえば、畢竟、それらの言語が当人らが本質的に求めるところに寄与しないからである。漫画やゲームの必殺技のようなカタカナを並べ立てたところで、仕事の質も売上も上がりはしないし、充足感も得られはしない。

キッチュなビジネス用語というものは、単に斯界を、あるいはせまいオフィスを見回した末の「模倣」にすぎない。(直帰といわずNRというのか)――同調圧力によって言葉が変質するという、じつにニホン的な側面をキッチュなビジネス用語に窺い知る。

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アットホーム(わが家のように気楽で家庭的)な会社へのジョイン(参加)に向かう

ある種の堕落

ちなみに、キッチュなカタカナに真摯に取り組む必要はないだろう。なぜなら、そんな浮足立つ心理を背景に生まれた言葉の価値も寿命も知れているからだ。

言葉というものは本来、ある種の衝迫力ともいうべきものが「必要の母」となって生じるものである。性根の欠片もこもっていない、うわっつらだけの言葉など、だらだらした時の貧乏ゆすりみたいなものだ。真に正念場というときには瞬時にかすんで消し飛ぶ重みしかない。そんなものを自己満悦気味に頻用するのは、品がないからおやめなさいと言いたい。なにより、地に足の着いた言葉のほうが、強いし、伝わるものだ。

言葉であれ何であれ、大した中身もないと知りながら、それに雷同するのはある種の堕落である。

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