ロックインに気をつけろ

ロックインに気をつけろ

「ロックイン(lock-in)」という言葉をご存知だろうか。毎年8月に茨城県で開催される野外ロック・フェスティバル『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』のことではない。そんな澎湃たる活気と熱気からはほど遠い「L」ではじまる陰鬱な「ロックイン」というものがある。その言葉の意味するところを端的にいえば「入りやすいが脱け出るのは困難な状態」である。今回はこの「罠」を腑分けしてみる。

ロックイン(lock-in)されている

「ロックイン(lock-in)」という言葉は「ロックイン効果」と言い換えられることもある経済学の用語である。「入りやすいが脱け出るのは困難な状態」の経済学的状況とは、有り体にいえば商品、サービスによる「囲い込み」だ。その場合、より限定的に「ベンダーロックイン(vendor lock-in)」ともよばれる。

たとえば「Windowsで揃えたから、Macには変えられない」といった状況は「(ベンダー)ロックイン」された状態だ。ケンシロウ★1に「おまえはもうロックインされている」といわれ、あとは死を待つのみである(それは言い過ぎ)。

「ロックイン」は今や常套手段だ。買物における「ポイント」もロックイン効果をねらっているし、「家族割」もそうだ。「どいつもこいつもロックな野郎だぜ」とは、一昔前なら「ロックンロール」を指すポジティブ・ワードだった。しかし、今では「ロックインされてすっかり小胆になっちまった、ちんけな野郎だぜ」という悪罵である。なんとも、せちがらい世の中だ。

★1 ケンシロウ――漫画『北斗の拳』に登場する架空の人物。本編の主人公。名台詞に「おまえはもう死んでいる」などがある。

ペットボトルの口側を切り、逆にしてはめ込む。中に餌を入れておけば、入った魚は出ることができないため、生け捕りにできる。入りやすいが脱け出るのは困難な状態、まさに「ロックイン」的である。

恐るべきロックイン社会

「ベンダーロックイン」にかんしていえば「私は○○派」で済むところがある。ロックインから脱け出るのにも「物、一式買い換えるコスト」さえ支払えばいいのだから、七難八苦までは強いない。だが、世の中にはもっと恐ろしいロックインはごろごろある。

たとえば「ロックイン結婚」。結婚なるものもロックインの性格がきわめてつよいものであることを知っておいて損はない。かつての「ケータイの2年縛り」どころではない縛り、あるいは終身刑とよんでさしつかえない苦患の可能性。それを想像するため、観照するために、天は人の子に大脳新皮質をあたえられたにちがいない。

「ロックイン・ローン」も然りだ。2メートルに満たない大きさながら、単独でテニスコートほどの巣をもちたがる動物は自然界を見渡しても人間ぐらいである。人間は「巣」と「縄張り」の区別を誤った唯一の哺乳動物といっていい。その謬見はかならずやロックインの餌食になる。35年ローンなどという、統御不能な時間とその間の安定的収入を約束するのは、不確実性の夜の海に身を投げるにひとしい。

「ロックイン就職」も跡をたたない。安定的給金を前提にゆるされる種々の社会契約が、 字引の「職につくこと」という定義から「ロックイン」にすげ替える。「ロックイン就職」は他のロックイン(結婚やローン)を誘発する誘発系ロックインでもある。安定の手段のはずが、安定的複合ロックイン状態の入り口となってしまうのだ。

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乗り換えにかかるコスト(金銭以外にも肉体的・精神的な労苦等)が苛烈なロックインは危険だ。そのようなロックイン状態では人はあきらめ、消極的に状況を受け入れてしまう。人生を低エネルギーに定位してしまうことになりかねない。

ロックな野郎になれるか

このように、社会のいたるところに「ロックインの顎(あぎと)」が不可逆的な牙をむいて待っている。ロックインおめでとう!――。ここまで言うのは妥当を欠くかもしれないが、結婚、ローン、就職に、もっとも真実にちかい祝辞の言葉である。

なにひとつロックインされずに生きることができれば、それはきっとすばらしいことだ。心の自由と平安があるだろう。霞を食う、天衣無縫の生きざまだろう。しかし、そこにいたる道もまた、険しいものとなろう。「おのれの信念にロックインされる」という状態が生じるかもしれない。

生半可な心構えでロックインの顎に飛び込もうものなら、後の祟りが恐ろしい。ならばせめて、不退転の決意で選びとる。「私は○○のロックインを受けて立つ」と。そのとき人は「見かけによらず、ロックな野郎だぜ」とすこしは輝いて見えるかもしれない。

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