浅瀬の鷺

浅瀬の鷺
知的貧困とインフルエンサー

人の自立、独立といえば、「経済的」自立、独立を真っ先に思い浮かべる世人は多い。一方、「知的」自立、独立を意識する世人のなんと少ないことだろう。

浅瀬に仇波

「インフルエンサー」という言葉は、世間を(無意識的に)皮肉るような言葉だ。「influence」の原義は「中へ(in)」「流れ込む(flu)」、天体の力が人間に作用するさまをいう占星術の用語だ。そこから「おのれの推理にもとづく意見を生み出すことができない人の中へ流し込むもの」と解釈すれば、原義にちかい。なかなかよくできたシニカルな言葉である。

「インフルエンサー」などというものは、なにも新しいものではない。高倉健は昭和のインフルエンサーだった。彼がキリンラガービールを飲むから、自分もそうしようという人は山ほどいたことだろう。

歴史が語るに、人世のほとんどは「知的浅瀬」でできている。浅瀬に仇波とは思慮の浅い者は騒がしいことだが、世間は常にバシャバシャと騒がしい。自力で意見をこしらえることのできないものが、借り物の意見をおのれの「中へ(in)」「流し込む(flu)」騒擾に満ちている。

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ビールの銘柄に追従する程度ならまだしも、対象にたいする見解を丸々おのれに「流し込む」となると、もはやカルトである。「インフルエンサー」だの「メンター」だの言葉で変装するが、自力の退化した知性の依存的崇拝、浅瀬の騒擾にすぎない(ちなみに英語で「shallow、浅瀬」は「浅薄な人・考え」の意もある)。

知的貧困

人の自立、独立といえば、「経済的」自立、独立を真っ先に思い浮かべる世人は多い。たしかに自立、独立のひとつだが、一方、「知的」自立、独立を意識する世人のなんと少ないことだろう。

経済的・社会的に身を立てるも、他人の知力に翻弄されるようでは知的存在としての自立、独立としては不覚に過ぎる。おのれがこしらえた船も操舵は他人まかせというのでは、人生というおのれの海を渡るものとはとてもいえない。

自己の本来的知性の下落に(無意識的に)耐え切れなくなったことからの(無意識的)自欺と、自棄と、自己慰安の横溢――そこに物質的な豊かさとは裏腹に瀰漫する頽廃の淵源のひとつがあるのではないか。

現今、知的(精神的)には貧困の時代である。不可視だが、じつはひどくみすぼらしく、もはや独り立つことすらできぬほどに飢え、瘦せ衰えた知的惨状が広がっている。

知的に惰弱なものは「インフルエンサー」なるものにかかる。「インフルエンザ」にかかるのは、おのれの抵抗力が病原の力に劣った結果であるように。

知的な自立、独立を欲すれば、テレビやスマホにだらだらとかまっていられない。他人の胃袋で己が腹を満たせぬように、他人の言説で己が知は満たせぬものだ。なにより、自力による知的運動はじつに楽しいものであり、暇を持て余すことなどない。

浅瀬の鷺

近くの川では、鷺をよく見かける。彼らが浅瀬に触れるのは、わずかな部分だけだ。彼らは浅瀬で生餌を得るが、浅瀬で穢れはしないし、溺れもしない。

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対照的に、頭の天辺から足の爪先までどっぷりと浅瀬に浸かり、這うように泳ぎ回る鵜がいる。彼らは鵜呑みした後、その糞で植物を枯死させる。ちなみに鵜の真似する烏という諺は、鵜の真似をして溺れる烏のことだ。

無意識的な自欺と、自棄と、病的な自己慰安の残滓が、言の葉の森を枯らし、世間を枯らす。騒擾の浅瀬で、知と精神は溺死する。

SDGs★1だなんだと騒ぐまえに、持続させるべきではない、みっともないありさまというものを掲げたほうがよい。

ちなみに「influx」はヒト・モノ・カネが殺到、流れ込むことだ。「influence(影響力)」の先にあるそれらが「インフルエンサー」という語意の本丸であろう。いかにも商業主義コマーシャリズムのニオイのきつい、無粋な言葉だ。

安っぽいものが流行るのが世間の通り相場とはいえ、近来、小耳に挟むのも疲れるのでこのへんで――飛び立つ鷺に我が心かさねる。

★1 SDGs――持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)。持続可能な開発のための17の国際目標。

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