マインドマップの実用例(2)

もっと日常的に使えるマインドマップの例を挙げよう。個人的な応用型で、「てんびん型」と勝手に名付ける。私的な問題から社会的な問題まで、思考をめぐらせるのに役立つ。マインドマップの正統性には欠けるかもしれないが、応用して役立つのであれば取り入れるというのが私のスタンスだ。

マインドマップを描いてみると分かることだが、はっきりいって役に立たないことが多い。茫漠たる連想の広がりから結論をあぶりだすのには慣れも必要だ。

「てんびん型」は、連想をより直接的な議論、批評のためにしぼり込む。とりとめのない連想マップではなく、議論、批評、結論のためのマップだ。

【例1】は私的スケールの「問」、【例2】は社会的スケールの「問」

1まず中央に「問(とい)」を置く。次にIのレベルとして「肯定(Positive)」と「否定(Negative)」、左右の対立軸に分ける。

2次にIIのレベルとして「事実(Fact, Data)」を描きだす。図ではひとつだが、事実として数える価値のあるものならいくつでもかまわない。この時点では事実とされているという確度でかまわない。

3次にIIIのレベルとして各事実の「確度(Reliability)」を描きだす。事実とされているものがはたして、本当に信頼できるものなのか。メディア、他人の意見、それらすべてを批判的に精査する。このとき、基準になる代表的なものを破線囲みで示してある。

普遍的に使える基準のひとつは「カネ(Money)」だ。人世に「カネの流れ」がまったく関係しない現象はすくない。どんな「問」においてもIIIのレベルで「カネ(Money)」は加えたほうがいいだろう。その他の要素は場合によるが、「人(Personality)」、「知能(Intelligence)」、「思想(Ideology)」、「構造(Structure)」はいずれも普遍的だ。

4こうして左右に枝葉を増やしていき、最終的に「てんびん」はどちらに傾くのか。それを見極めるのはおのれの総合的判断力、直観力だ。忘れてはならないのは、真実が何なのかを決めることにおいて、それこそ自己責任である。

新たな現象、新たな法案や制度等、不確実性が猖獗をきわめる現代、認識の責任は極大化している。浮薄な判断で損失を選択するような愚かなことは避け、まずは自身を説得しうる「思考」を習慣化したいところだ。

【例2の場合】

――新制度について
I――肯と否
II――事実(?)
III――検証

肯側の結論
新制度推進派の*大学の*氏は権威の最右翼として各メディアは大々的に取り扱っている。しかし、*大学は*財団から多額の寄付を受けており、*財団は*が*することによって思想的目的を満たす構造にある。*氏の発言がそうした構造に影響されていないといえるだろうか?

否側の結論
新制度反対派の代表的な論者は、かつて同様の問題において出した結論は後に実証された実績がある。そして、各人いずれも制度を否定することによって得られる利益が確認できなかった。非営利な立場からの理性的、科学的、または倫理的な価値にもとづく発言と考えてよいものだろうか?

AIの前におのれの脳

昨今、AI(人工知能)が耳目を集め、生身の脳への配慮や期待が鳴りをひそめている。私の見解では、生まれもったこの脳を自家薬籠中の物にできれば、AIの話題などかすんで消し飛ぶ類のものだ。AIもまた、竹の節目のように歴史にみられる「技術の熱狂」、ホットスポットのひとつにすぎないだろう。かつての蒸気機関や電話、原子力エネルギーやインターネットのような。

創造からあたえられたおのれの脳を、もっとありがたく頂戴し、ていねいに使いたいものだ。

レオナルド・ダ・ヴィンチ

レオナルド・ダ・ヴィンチのノートも、マインドマップが使われていたという。

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